この記事では、ヨガ哲学の基盤「サーンキャ哲学」について解説します。サーンキヤ哲学はインド哲学の主要体系の一つで、ヨガ哲学の基盤ともなっています。ヨガの根本経典として知られる『ヨーガ・スートラ』も、サーンキャ哲学に基づいた教えを展開しています。
『ヨーガ・スートラ』については、下記の記事をご参照ください。
ヨガへの理解をさらに深めたい方、ヨガを通して本当の自分を知りたい方は、ぜひこの記事をご参考にしてください。
サーンキヤ哲学について
サーンキヤ哲学は、「二元論的多元論」といわれることもあります。これは、本来の自分「プルシャ(意識)」と、それ以外の世界や物事を「プラクリティ(自然本性)」として分ける考え方です。
この哲学では、「心」も「身体」も「自分」ではないと説いています。『ヨーガ・スートラ』を読み進めていくと、自分自身は、「心」を介してしかこの世界を見ることができないということが分かります。本来の自分を知るためには、この「心」・・・チッタの動きを静止する必要があります。
ヨガの根本経典である『ヨーガ・スートラ』では、「心の活動の停止」こそがヨガの定義だと述べられています。詳しくは下記の記事をご覧ください。
プルシャとプラクリティ
サーンキャ哲学では、宇宙は二つの要素から成り立っているといいます。それが先述した「プルシャ」と「プラクリティ」です。
プルシャは身体の内側にあ李、楽しんだり苦しんだりしている「受動的要素」ですが、最も深い状態では世の中で起きているすべてのことの「目撃者」「傍観者」として機能します。
一方プラクリティは基本的には無意識ですが、意識と深く絡み合っているので、「宇宙の外見上の創造者」「現実世界を作り出す者」として一定の役割を果たすようになります。
下記で、プルシャとプラクリティについて、分かりやすく噛み砕いて見ていきましょう。
プルシャ
プルシャとは「意識」「純粋精神」「真我」「観る者」などと訳されます。「魂」のような存在といって良いでしょう。
ヨガでは、自分と言う存在は二つのものからできていると考えられ、それが一つに合わさることを目的としています。その二つとは「認識している自分」と「本当の自分」です。プルシャは、いわばこの「本当の自分」を指します。
プルシャは常に自分、自我を観察していますが、心の活動が激しいと、そこにばかり目が向いてしまい、奥底にある本当の自分の存在に気付くことができません。ヨガの瞑想は、流動し続ける心の活動を静め、透き通った己の心に出会うための方法ともいえます。
つまりプルシャとは、私たちの肉体や感覚や感情、エゴから離れた、「純粋な魂」といえるでしょう。普段怒ったり悲しんだり、動いたり休んだりしている心は本当の自分ではないものと考えます。プルシャはいつでも、穏やかに自分を観ている存在です。
プラクリティ
プラクリティとは、「自然本性」「根本源質」「自然」「観られる者」などと訳されます。プルシャを取り巻くものであり、普遍的なプルシャに対し、移り行くものをプラクリティといいます。
人間でいえば、肉体や思考、言葉などはすべてプラクリティであり、プルシャはそのすべてを傍観しています。つまりプラクリティは私たちが見ている現実世界を形作っている存在だといえます。
プラクリティ、つまり私たちの目の前の世界は、下記の三つの要素で成り立っているといわれています。この3つのバランスにより、目の前の世界は変化していきます。
- サットヴァ(純質。輝く、軽快、明るい)
- ラジャス(激質。活動、興奮)
- タマス(暗質。重い、暗い)
プルシャの別表現
「プルシャ」という言葉には、さまざまな表現があります。以下、プルシャの別の表現を見ていきましょう。
ブラフマン
ブラフマンは、宇宙原理そのものを指します。最終的に、宇宙と個人は一体化することがヨガの境地とされています。意味的には、後述する「アートマン」と同様と考えられています。
アートマン
アートマンは、「呼吸する」という動詞が派生した言葉です。宇宙的な原理であるブラフマンとは異なり、「個人」と言う視点から見た宇宙といえるでしょう。
真我
真我は、真実の自己といえます。大宇宙につながる小宇宙であり、サーンキャ哲学では「プルシャ」、(※)ヴェーダンタ哲学では「ブラフマン」を指します。
※ヴェーダンタ・・・インド哲学の学派。現代では六派哲学の一つに数えられる。「ヴェーダンダ」の語源は 「veda」 と「 anta (終わり)」を掛け合わせたもので、ヴェーダの最終的な教説を意味する。ウパニシャッドの別名でもある。
プラクリティの別表現
下記は、プラクリティの別表現です。併せて理解しておきましょう。
イーシュヴァラ
イーシュヴァラは、生きた宇宙を指します。実際に今、現実にあらわれている世界のことです。実体を持たないプルシャが、実体であるプラクリティを使って作り出したといわれています。
マーヤー
マーヤーは、サンスクリット語で「幻影」です。ヴェーダンタ哲学の言葉であり、サーンキャ哲学のプラクリティと同様の意味で使用されます。
まとめ
以上、「サーンキャ哲学」の大まかな概要、「プルシャ」と「プラクリティ」について解説しました。
プルシャが「観る者」であれば、プラクリティは「観られる者」です。プルシャが「観ている」世界はすべてプラクリティです。
プラクリティが浄化されれば、プルシャと繋がりやすくなり、本当の自分を知ることができるとされています。これが、まさにヨガの目的の達成といえるでしょう。
このようなヨガ哲学を理解することで、よりヨガの深めることができるはずです。ぜひサーンキャ哲学の考え方を意識しながら、ヨガ、瞑想を行っていきましょう。