この記事では、ヨガの禅の関係性や、禅の十牛図について解説します。
ヨガと禅には、切り離せない深い関係性があります。そもそも「禅」という言葉は、インドの「瞑想(ディヤーナ)」が日本に入ってくる際に変化して伝わったものだと言われています。
ヨガの理解をさらに深めたい方は、ぜひ禅についても知っておきましょう。
禅とヨガの関係性
禅とヨガは、インドから日本へと仏教が伝わった道のりと距離、時間が関係しています。禅は、インドで「瞑想(ディヤーナ)」と呼ばれていたものが中国に渡り「禅那(ぜんな)」という言葉に変化し、日本に入ってきた際に「禅」と呼ばれるようになったといわれています。
つまり、禅はヨガの八支則でいうところの7段階目、「ディヤーナ」を指すといえるでしょう。
八支則について詳しくは、下記の記事をご覧ください。
禅のマインド
ただし、禅は瞑想だけを意味するものではなく、生き方や考え方、自分の心のあり方を見つめ直すことにより、心と自分自身が離れないようコントロールするといった目的もあります。
人間として成熟した状態で人と接し、社会の順応していくというのが禅の大切なマインドといえるでしょう。
十牛図について
先述した「禅のマインド」を詳しく記載しているのが、「十牛図(じゅうぎゅうず)」です。
十牛図とは、逃げ出した牛を探す牧人の様子を段階的に描いた十枚の絵のことです。十枚の絵には、それぞれ詩が添えられています。
ここでの「牛」は「本当の自分」の象徴です。牛を探す牧人は「本当の自分を追求する自分自身」をたとえたものです。十牛図は、俗世間での日々の暮らしで自分を見失い、本当の自分を探しに旅に出る人間の物語なのです。
十牛図の「本当の自分」を探す絵物語は、禅の悟りにいたるまでの道筋を表しています。下記で十牛図の物語を、一つずつ見ていきましょう。
1.尋牛(じんぎゅう)
牛を探す旅に出るものの、疲れるばかりで何も見えない
悟りの境地、「本当の自分」を見つけたいと思ったが、どうすれば辿り着けるのか分からず彷徨っている状態。
2.見跡(けんせき)
牛を探している途中に、牛の足跡を見つけた
先人たちの教えや文献を読み研究し、師の教えからようやく修行の方法が分かってきた状態。
3.見牛(けんぎゅう)
ちらりと牛の姿が見えた
偶然悟りの境地を垣間見た状態。しかし、まだ掴んだわけではなく、すぐにでも見失う恐れがある。
4.得牛(とくぎゅう)
ついに牛を捕まえたが、逃げられそうだ
瞑想を深め、悟りの境地を掴んだが、気を抜くとすぐに感じられなくなってしまう状態。努力でとどまっている段階。
5.牧牛(ぼくぎゅう)
飼ううちに牛もようやく慣れてきた
以前のように必死にコントロールせずとも、少しの努力で瞑想の境地を保てるようになった段階。
6.騎馬帰家(きぎゅうきか)
牛に乗って家へ帰る
牛と完全に一体化した状態で帰路についている。意識せずとも悟りの状態を保ち、楽しむことができている段階。
7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
家で牛の存在を忘れている
本当の自分を知り、悟りへの執着も無くなる。ありのままでいることができている状態。
8.人牛倶忘(にんぎゅうぞんにん)
心が完全な空の境地に達した
本当の自分や悟りへの執着を手放した状態。瞑想をすると心が空っぽになり、ただ深い静寂に包まれ満たされている。
9.返本還源(へんぽんげんげん)
自然に還る
たとえ心が再び動き始めたとしても、それを自分の心としてほかの現象と区別せず、すべてが自然の営みとして平等にただ傍観している状態。
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)
普段の暮らしに戻る
自然に振る舞い、自然に動くが、そこにエゴはない。多くの人に接し人びとを癒し、役に立っている。
まとめ
以上、ヨガと禅の関係性、十牛図の物語について解説しました。
禅では、偽りの自分を「本当の自分」と思い込んでいることから、苦しみや葛藤が生じると考えます。
十牛図の物語では、苦しみ・煩悩から解放され悟りの境地に達するためには、「本当の自分」に向き合うことが大切だと伝えています。
瞑想で自分の心の中に入り込み、心の中の旅を続けながら、「本当の自分」を探し求めてみましょう。
瞑想のやり方については、下記の記事をご参考にしてください。
参考:『ヨガが丸ごとわかる本』(2016)枻出版 Yogini編集部