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『勝ち負け』というよりは『生きるか死ぬかの戦い』の方が、じつは人間の潜在能力をアップできますよ!
というそんな話です。
その話をするために、まずこんな話題から。
最近イニシャルDという漫画アニメ作品にハマっているのですが、これは作品的には峠道をカーチェイスするストリートバトルものです。この作品に惹かれる要素はいろいろあるんですが、デカイ要素の一つにストリートバトルが挙げられます。
これがサーキットでのバトルだと個人的にはそこまでブッ刺さらなかったんだと思います。なぜならサーキットは安全が約束されているから。
公道レースという超危険バトル
もちろん技術的には峠の走り屋よりもプロの集うサーキットの方が格段上です。実際に作中でもそういう内容に触れられています。というか実際にプロのレーサーなキャラと戦ったりもするので、そのへんのシビアな現実も題材にしています。
まあ峠で迷惑な暴走レース行為しといてなに言ってんだよという感じもぶっちゃけありますが、そういう危険迷惑行為込みで惹かれている側なのでツッコミを入れ辛いですねー。お世辞にも褒められた行為でないのは承知なんですが、まあ、その要素も今回の話題には重要っていう。
サーキットと峠の走りの違いはいろいあろありますが、総じて言えるのは危険がつきものという点です。対向車だの、レースで突っ走ってたら途中の峠道で事故車があって危うくぶつかりそうになったりとか、ガードレールがサビっサビだとかコンクリートが舗装されてなかったりとかサイドから木々の枝がボーボーに生えていたりとか、まぁ整備されたサーキットではあり得ないような環境です。
そのスリルまみれのコースをいかに制覇して相手よりも速く走るかがテーマにもなっているので、勝負以前に命的に危険があるわけです。しかも作中屈指のキャラクターでも、プロになる道には興味がなく、ストリートで最速を極めることに美学を持つ人物が描かれるくらいです。
常に危険だからこそ行うレース
この生のコース(というかただの道)をコースにしていろんーな阻害要素を考慮しながら突っ走る行為は、常に危険と隣り合わせで、作中のセリフでも「このままツッコメばオシャカだ!!」だの「コンクリートの壁に激突しちまうぞ!?」だの「ガードレール突き破って崖下に真っ逆さまだぜ…」だの「ヤベェ…気を抜くとあの世いきだっつうの…!」だのそんなセリフのオンパレードです。
レースやってる本人たちが誰よりも危険をビンビンに自覚してやってるのが、側から見れば燃えたり、別の角度から見たら「迷惑極まりねえよ!!!」と憤ったりするでしょう。
まあその賛否両論が激しく起こる点も魅力なんですがね。
しかし命かかったレースだからこそとんでもねえ集中力を発揮して、だれもが驚愕するようなテクニックを披露するなんてわけです。
格闘技と武術の違い
安全が約束された環境でルールを整備した勝負なのか、ノールールでの戦いなのか問題は強さを追い求める人たちの中も疑問視されています。
たとえば日本の総合格闘家であり、現在は武術の道に入った菊野克紀さんはコメントでこう語っています。
「ある設定やルールに当てはめて格闘家と武術家が戦った時点でおかしくなる」
つまり格闘家と武術家はまったく別物と話しています。格闘家はまさに設定やらルールを用意して、審判がいて、危険が迫ったらレフェリーがストップして勝敗が決します。
逆に言えば、格闘技は安全に勝敗を決するようにあれこれと準備やら仕組みができているわけです。
当たり前ですが、格闘家が一回一回の戦いで選手生命が終わるような大怪我を負えば、もう試合できませんよね。
となると格闘家のキャリアが終わるばかりか、格闘技界としても重要な興行の元となる選手を失うわけで、それは収益にガリッガリに絡んでくるわけです。
選手からしてもキャリアが終わって路頭に迷うだけでなく、雇ってる側やらスポンサーからしてもデメリットしかありません。だから安心安全なルールで、殴った蹴った極めたで勝敗を決めます。
格闘家はつまりビジネスでやってるんです。生き死にをかけて戦ってません。これ当たり前ですよね。
マジの戦いがしたい菊野克紀さん
ところがプロの格闘家として思いっきり活躍していた菊野克紀は、ここに疑問を抱いたようなのです。
プロの総合格闘家として27試合20勝7敗という戦績で、しかも世界最大の総合格闘技団体UFCで選手として戦っていた人なのでまあガチ中のガチな格闘家です。
そんな方がYoutubeの企画で現役の総合格闘家と、武術家として戦うという企画の中で何度も言っているのがこの発言です。
「ルール」
このルールというのが、鍵というか引っかかっている点なのです。
格闘技には禁じ手というのがあります。この禁じ手は、たとえば目つきだったり金的攻撃だったり、噛み付いたりだのそういう食らったらヤバい攻撃です。
「そんなもん反則だから禁止に決まってるだろうが」という意見は真っ当です。真っ当だからこそ真っ当です。真っ当過ぎます。
つまり安全が前提となった勝負が当たり前の思考から生まれる感覚です。
これは動画内でも詳しく語られていますが、禁じ手ありの戦いで決まる勝敗っていったいなんなん?という話になってきます。
ルールが無い戦いは怖い
動画内でずーっと菊野さんは企画自体にめっちゃくちゃ言いたいことありげに話しており、「ルールをとにかく減らした状態で戦おう」と相手の総合格闘家に提案します。
その提案を聞いて、現役プロ格闘家の矢地祐介選手はこう言っています。
「ただただ怖い提案でしかない」
そうです。
これ怖いんですよ。
だってこの菊野さんの提案はつまり
命に関わるかもしれないルールでの戦いなんですから。
矢地選手の反応はリアルです。
なにがリアルかっていうと、普段どれだけ総合格闘家がルールで守られているかって話です。
だからルールがない戦いを目の当たりにすると「怖い」という感覚が生まれます。
当たり前です。
怖いからこそ
マジなんです。
ちなみにこのあと必死に構えを取る総合格闘家の矢地選手相手に、菊野さんが”歩 いて“近づいて目つきを決めて終わるというとんでもない流れで決着がつきます。
こっっっわ!!!!!!!!!
檻に入ったライオンと対面するか、サバンナでいきなりライオンと出会うか
ルール無しで戦うことがいかに恐怖であり、いかに危険なのかは戦いの場でなら特に分かりやすいです。武術しかり、命をかけてる兵士の軍隊格闘術なんかも相手を戦闘不能にすることが前提ですし、どれだけ格闘技が安心安全なスポーツなのかが窺い知れます。
格闘以外の話で言えば、ライオンなんかがそうでしょう。
動物園で対峙するライオン相手だから平気にヘラヘラしたツラして観察なんてスッとぼけたこと言えますが、もしサバンナで突然ライオンに出会ったら同じようなノリで目の前に立てるでしょうか。
無理に決まってんだろうが。
って話ですよね。
安全が確保されてるからこそのんびりやれるんです。当たり前ですがこの檻の中から物事に触れるというのが、マジで無意識で当たり前になっていることにクラクション鳴らしまくりたい気持ちになる次第で。
だって人っていつか死にますよ?
死を自覚する重要さ
突然なにをワケ分からんこと、つうか怖いこと言ってんだという話かもしれませんが、この死を自覚せずに生きるというのはけっこうヤバいことというのを語っていければ。
動物園の話で言えば、死の危険性がなくて安全だからライオン見れるけど、面と向かってたら死ぬ可能性あるんで怖いわけですよね。
だったら怖い思いなんてしたくないし、一生檻の外から(実は中からかもしれませんが)安心安全に生きていたいと思うのはまぁ不思議なことではありません。
が、です。
「メメント・モリ」って聞いたことありますでしょうか。
ラテン語で「死を想う」という意味の言葉です。別の言い方すれば「自分が必ず死ぬことを忘れるな」なんて訳です。
「なに宗教の話?きっつ」
となるかもしれませんが、別にそういう類じゃないです。どっちかっていうと哲学ですかね。
死を意識するとメリットがあるからこういう言葉があるわけで。
なんてったてこの言葉、古代ローマから現代まで通じる哲学だからです。
なぜ死を意識することが大切なのか
古代ローマの将軍から、現代ではかのスティーブ・ジョブズまでスピーチで引用するほどの強い力を持ったこの思想はなかなかです。
古代ローマでは、戦いに勝利して華やかなパレードのなか、栄華を極めたがごとき絶頂気分で世界の全てを手に入れたばりに有頂天になっていたとき、側近の者が耳元でこう囁いたといいます。
「memento mori」
つまりいま勝利して最高の気分であっても、明日はどうなるか分からないから調子こかずに気を引き締めろという意味で言われたというのです。
世界のスティーブ・ジョブズは毎日死を意識していた
現在の話でいうと、アップルの共同創業者の1人であるスティーブ・ジョブズ氏。2005年にアメリカのスタンフォード大学の卒業式スピーチで、死に向き合った話をしています。
彼はアップルの偉大な人物として世界に知れ渡る存在ですが、17歳のときにある言葉と出会いました。
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」
このストイック極まりない言葉を若干17歳で抱いてる時点ですげーですが、それから33年間の間、毎日鏡に映る自分にこう問いかけました。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」
これがメメント・モリに通じる話ってわけですね。死を意識してないと、つまり今日が最後の日だとしたら、ぼっけーっとして過ごすなんてことはありえないです。人生最後の日にぼけーっとしたいならもちろんOKOK!!!!!
じゃなかったら、生き方見直せって話なんですよ。
実際にジョブズ氏は、重大な判断をくだすときにはこの死の概念がとても役にたったといいます。
彼ほどの人物であれば、常に周囲からの期待やら失敗への恐怖やらプライドやらがあります。そんなもんシャレにならないレベルで。
その彼が言うのです。
「死の前ではなんの意味もなさなくなる」
「そこに残るのは、本当に必要なものだけ」
「死を覚悟して生きていれば、何かを失うという死な陽をせずに済む」
偉業を成し遂げた彼が才能だけだったわけじゃないのがよく分かる発言だと思います。
ジョブズさんがやってるならだれでも必要だろ!!!!!
天才と呼ばれるような人がこんな侍みてえな心境で生きてて結果を残したなら、全人類に必須ですね義務教育に取り入れましょうか!
まぁこんな受け入れ難い、というかハードモードな精神だれでもすぐに実践するのはムズイのは承知でございますっつうわけで、簡単にスティーブ・ジョブズモードになれる方法をお伝えできれば的な!
死を意識するためにドクロを身につける
それはドクロを身につけることです。
なに言ってんの?って感じかもしれませんが、そのまんまです。
ドクロのデザインのアイテムを身につければいいんです。
「は?」
たとえばドクロが描かれたTシャツでもいいですし、ネックレスでもいいです。ピアスでもなんでも構いません。
とにかくドクロです。ドクロのデザインを身に纏いましょう。
「なにいってんの?」
「んなもん意味ねえだろ」
これで潜在能力がアップしてもそんなことが言えるでしょうか!!
つうかそんなことでん潜在能力がアップするなんて思えないですよね!ええ不思議なもんで!!
しかし思い出してください。ローマの大先輩もスティーブ・ジョブズ氏も死を意識することで偉業を成し遂げました。
死を意識するとは、つまり死に関連するものを目の当たりにすることです。物騒な話ですが、人が死体やらを恐怖するのは死を身近に感じるからです。
ならばドクロも死を意識するゆえに物騒なんです。
じゃあその物騒なドクロを身につけていれば、自ずと死を意識できるってわけですよやったあ!!!!
死を意識したらパフォーマンスが上がる!!
なんか騙されてる気になってる方がいたら朗報です。さまざまな実験によって効果が確認されており、能力をなんと1.4倍も発揮できるというのですから。
研究の1つではバスケの実験がります。バスケットボール選手を対象に1on1の対決を7分間行ってもらったとき、半数のグループにはバスケットボールに対する思いを、もう半数には自分の死に対してどう想うかを紙に書いてもらいました。
内容違い過ぎだろ。
そしたらなんと死を考えたグループは、バスケットボールのパフォーマンスが20%から40%上がったというのです。
分かりやすい身近な例えで言ったら、火事場の馬鹿時からってやつですね。死ぬ気でやったらとんでもない力出せるっていう。
先に紹介したスティーブ・ジョブズ氏の考え方は脅威管理理論といって、遠い未来に意識が向いている人ほど自分をコントロールできるという理論を活かした考え方であり、バスケについても死を意識して火事場の馬鹿力的な効果や、この脅威管理理論の影響もあったのではないかと思います。
ジョブズさんが言ってたように、死の前ではすべて些細な問題です。人はより大きな恐怖があれば、それより小さな恐怖なんてどうでもよくなります。
今日からあなたもドクロスタイル!!
というわけで死を意識する力を最大限活かして己をパフォーマンスを上げてみてくださいなっていう話です。
死を意識しない、安全が約束された生活だけだとその生き方本当に後悔しませんかー?
死を意識した方が己の人生がよりよく変わるとすれば、自分の生き方にマジになるってなノリで今日からあなたもロエンやマスターマインド、アレキサンダーマックイーンでばっちりドクロファッションをキメましょう!
歌舞伎町のホストかな!?!?
冗談じゃなく身にまとうのが抵抗あったらスマホの壁紙とかでもいいですよ。
身近な物で死を意識できるものを置いてりゃあなんか人生変わるかもしれないなら試してみる価値ありまくりってなわけで!