生物の本能に従うべし!自然に触れるだけで起こる驚きの効果

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いやー自然の中というのはどうしてこうして癒されるのでしょうか。

僕は毎朝トレーニングのルートに自然がある道を選択して走ってるんですが、気持ち的に「なんとなく朝から気分がいい」「1日の調子上がる」っていうノリでやってます。

しかしどうもこれは気分的な話では済まないようなのです。

みなさんも自然の中で清々しい気持ちになるという経験はあるのでは?

たとえばキャンプなんてその最たるものですよね。ただ自然の中で過ごすのが超快適な休日の過ごし方になるなんて不思議では?

ところがこれは不思議でもなんともないのです!!!!!

生物にとって自然がどんだけ必要であり、生物にとってどんだけ癒しなのかが、文明築いてコンクリの中で過ごして理性ぶっ壊れた人間存在ですら、やっぱり本能で感じるものが自然にはあるものです。

自然の力は偉大であり、自然には人間なんてのは太刀打ちできません。大自然のおしおき一発かまされればどれほどの甚大な被害が出るのかは、日本においても他人事ではありませんよね。

しかし自然と共存することができれば、どれほどの恩恵をもたらしてくれることか。

今回は緑を取り入れれた生活ってのを中心に話していこうと思います。

緑が遠のいている人ほど緑は日常に不可欠だということが伝われば。

なぜなら自然が無い生活は生物としてかなりヤバい!!!!!

森林浴という言葉

緑の力はどれほど偉大なのか。なーんか人間にとって自然からかけ離れた場所で過ごすことが当たり前になりがち感もありますが、そういう人ほど心に余裕がなかったりしがちです。

これ、じつは自然と深い関係があります。

なんで自然が生物の能力と関係があるのかって話ですが、そもそも自然の中で過ごしていた生き物なんですから自然が存在しない環境で過ごすことこそが異常なのです。

当たり前だろ!!

コンクリに囲まれた異常

人類の祖先はコンクリから生まれていません。当然ですが大昔にそんなもんないですよね。

人類の歴史を振り返ってみても、現代ってのはまあまあ大異常。人が自然にこれほどまで触れない時代なんてのは存在していないのです。

自然をぶち壊して発展しまくったことを偉大だとでも言わんばかりに、産業革命だの高度経済成長だのでガンっガン近代化していったのはご苦労なこって、その結果どうなったかというとコンクリートジャングール!!!

本能に逆らいまくってるんですよねこれ。だって生まれ故郷をガン無視してるわけですから。

コンクリから生まれたんならいざ知らず、そんなわけありません。コンクリって人類が勝手に作ったもんです。人類より前にそんなもんありませんでした。

コンクリに囲まれた生活は刑務所みてえなもん

ゆえに人間には無意識に自然を求める本能があります。母体のことを神聖視しますが、同様に母なる大地なんて言いますよね。

大地こそが生物の母体なんですよコンクリじゃねえよ!!何回コンクリって言うんだよ!!!まだまだ言いますよー♪

僕自身コンクリ打ちっぱなしのデザイナーズな物件は好きですよ。ええ、コンクリデザインには多分に魅力も含まれています。

が、コンクリ”だけ”に囲まれてたら可笑しいでしょ病むでしょそら。バランス大事ですなにごとも!

試しにコンクリの壁に囲まれた場所といえば、たとえばどんなの想像しますでしょうか。完全にコンクリに囲まれた、狭い部屋。

刑務所。

それが心地いいってんなら本気で本能がぶっ壊れてると思います!!

自然を求める本能

なんでそんなに自然を猛プッシュするかっつうと、人間はコンクリの壁に囲まれるよりも自然に囲まれることを本能的に求めます。

これをバイオフィリアといいます。

たとえば日常生活で街中でずーっと暮らしていて、休みに仲間とキャンプに行くなんてことがスーパーアクティビティとしてもてはやされますよね。

キャンプといえば森の中で不便を楽しむもの。不便なのに楽しいし、自然の中で肉焼いたりご飯炊いて飯食うだけで美味いんです。これ別に大して手の込んでない飯でもめちゃくちゃ美味く感じるんですよ?

不思議じゃありませんか?

大自然で飯を食うことが贅沢

大自然の中で過ごし、大自然の中でただ飯を食う。

それだけでどれほど解放的な気分になり、癒されるのか。

アメリカのワーナー・ブラザーズ・ディスカバリーが運営するネットワークチャンネルの「ディスカバリーチャンネル」では、ゴリっゴリにニューヨークでイカしたレストランを経営するシェフが自ら異国の地に行って異国の料理に触れ、自らの料理として取り入れるという番組があります。

その旅先に日本の屋久島が選ばれたエピソードがあるのですが、屋久島といえば自然の宝庫。

この中で、屋久島の森の中で天ぷらをあげて食べるシーンがあります。

腕にタトゥー掘り倒したアメリカンシェフが採れたての山菜を振る舞われるのですが、彼自身もその味の自然の恵みを堪能しながら、大自然で食べる贅沢さに感涙していることを話しているのです。

ニューヨークでシェフやってるから余計に異国でしょうが、まあこの環境を「贅沢だ」と感じるのは人間にとって共通の感性ということでしょう。

ちなみにこの屋久島での料理の回は全編通してオススメなので、視聴必須ですよ!

人間もただの生物ゆえに自然を求める

この無意識に自然を求め、自然に感動するという生物本来の感覚。

これをバイオフィリア仮説といいますが、なにもスピリチュアルな提唱ではありません。

世界に名だたる名門ハーバード大学のエドワード・ウィルソン博士が提唱した仮説です。実際に、現代ではとある症状が問題として取り沙汰されています。

それは自然欠乏症と呼ばれるものです。

その名の通り、自然に触れる機会が少な過ぎると、人は不安感が増したり集中力が低下して、メンタルの問題につながってしまうことが確認されているのです。

そのため、週末にアウトドアやるってのがめっちゃイケてる趣味になってますよね。いい傾向いい傾向!!

どんな根拠でもいいんですが、とにかく自然に触れるのはシンプルに素晴らしいこと。1人キャンプもめっちゃいいんですよだから。週末だけガッツリ自然に触れるのがどれほど人間生物にとって大きいことか。

つうわけで自然と人間生物の関係をどんどん掘り下げていきますよーいっ♪

人間の脳には自然にだけ反応する脳細胞がある

スピリチュアルだの精神性がどうだのっていう話ではなく、科学的なアプローチで自然と人間生物のつながりを紐解きていきたい次第です。

というわけで脳みその中にある細胞と自然についてフィーチャーしましょう!

人間の脳にはなんと、「ネイチャーニューロン」と呼ばれる脳細胞があります。これはなにかというと、自然にだけ反応する細胞なのです。

つまり自然に触れる時だけ発動する特殊条件なので、自然に触れたら発揮される生物の力があります。

たとえば自然に触れると脳が活性化したり、集中力が上がるという結果が出ています!

というのもさっきから苛烈に自然から切り離された生き方について主張してましたが、本来人間はほかの生物同様、自然と共に生きていました。

いえ、もっといえば。

自然と共存しなければ生きることができなかったのです。

なのに自然から切り離されて生きるのは、存在としてやはりありえないこと。

別に自然に触れようが触れまいが個々人の自由です。「お好きにすれば結構ですよ」の一言で済みますが、生物として合った環境が何かといえば、やはり自然はなくてはならないものなのです。

トレント大学の研究によると、人間は自然の恩恵を過小評価する傾向にあるといいます。人間生物は自然から大きな恩恵を受けているのにもかかわらずです。

そして人間は自然に触れればどれだけ心地よいものか本能的に知っています。

アウトドアがもてはやされる理由

シンプルに自然が好きだからという人もいれば、モテるからって人もいるでしょうし、アウトドアできる私で異性とともに過ごす時間を狙うという人もいるでしょう。

理由も目的も十人十色で人それぞれ!それをどう思うかも人それぞれですがね。

とはいえ。

モテようとしてアウトドア始めてるメンズでもやっぱり自然に行けば本能的に「……めっちゃいいじゃん」なります。

「虫が嫌だ」「日差しが嫌だ」「コンクリ以外の外出たくなぁい」と言ってるギャルでも眩い太陽に輝く上流の水面を目の当たりにすれば、川のせせらぎを耳にすれば「綺麗……」と本能的に直感します。

いくら都市に囲まれコンクリの壁で囚人みてえな生活送ってても、生物としての本能は消えません。鈍ることはあっても、自然の尊さは知っているのです。なぜなら遺伝子に太古から刻まれてるんですから。

ゆえにアウトドアのキャンプの良さを知っているんです。

なのにぜんぜん行かない。

「行けよ!!!!!」

と叫びたくなります。

なぜならそれが人生を充実させるために必須だからです。

自然な人間の根源的な欲求を満たす

人間には価値が有るのか無いのかさておき、いっちょまえな欲求があれこれありますが、根源的な欲求というものが3つあります。

それは自立性、有能さ、関係性です。

自立性とは、自分の力で物事を決めて判断したり、行動することができるか否か。

言い換えれば周りに流されてテメエの意見を押し殺したり、そもそも自分の意見が無かったり、周りの決めたことでしか行動できない自立性は低くなります。当たり前ですね。

有能さとは、能力の高さのこと、ではありません。そんなもん振りかざしてもどうにもなりません。自分が持っているスキルや能力を活かして仕事したりなにかを生み出したり、周りの人に頼られることです。

つまり自分の能力の高さを感じられる機会があればあるほど、この有能さを実感できます。能力の有無に関係なくです。これには挑戦が必須だったりするんですがね。同じことやってたら有能さなんて実感できません。

関係性とは良好な人間関係。そのまんまですね。

厳密にいえば、大切な人と一緒に過ごす時間がどれだけあるかが重要です。

逆にいえば嫌いな人間や仕方なく付き合わなければならない人間関係が増えれば増えるほど人は不幸になります。そりゃそうだろ。

嫌いな人間関係が増えるほど人は不幸になるので、もちろん減れば減るほど人は幸せになります。

自分にとって良い関係やつながりを増やせば増やすほど幸福になるのです。

部屋の掃除と同じですね。邪魔なものが多ければ多いほどメンタルは病む、というかゴミまみれの部屋に住んでいること自体が病んでいる証ですが、良好なメンタルの人は整理整頓、断捨離が非常に行き届いています。

モノも人間関係も同じです。

自分で自分を満たせていますか?

で、この自立性、有能さ、関係性がどれだけ満たせているのかが人間の幸福度には決まるというのが自己決定論です。

自己決定論はさまざまな研究が行われているものであり、直感的には納得する部分があるのではないでしょうか。

日本の常識的にはなかなか難しいと反発される内容ではあるでしょう。いわゆる日本人はこれでいえば、不幸になれば不幸になるほど周りから受け入れられるようなシステムの中で生きていますからね。

周りに合わせて生きることを良しとし、周りとは違うことを悪しとする。

個人の幸せではなく、集団でのまとまりを優先するのは民族的には興味深いですね。日本という国の特性が種族に反映されているのですから、集団としては個性が備わっているといえます。

集団には世界的に見て「日本人」という個性があり、個人に個性なんてない。

非常に面白い。

自然の中では自己決定感を満たす要素が備わっている

話がそれましたが、自然の中で行動することは、これら3つの自立性、有能さ、関係性を満たしてくれるのです。

たとえば海や森でのスポーツやレジャー習慣がある人は自立性を高めることができるため、仕事やら活動の中で活かすことができます。

有能さに関していえば、決めた目標を乗り越えるということで有能さが生まれます。ランニングで決めた目的地まで走る、山の頂上まで走るなど、自分で決めた挑戦を乗り越える機会に恵まれるのです。

自然の中で仲間や親しい人間と過ごすことで、人間関係にも良好な影響を与えます。自然の中で協力し合う経験はたがいの関係を深め、よりより関係性の確立に一役買うわけです。

自然の中で過ごすこと自体、脳細胞を活性化させるだけでなく、人間の根本的な欲求を軒並み満たすことが可能です。

人間が作り出したものに頼らず、自然の中で無人島よろしく仲間と一緒にチャレンジすれば、一気に幸せになるってわけです。

自然自体の魅力に加えて、自然の中で人間という生物が行動することにより、生物として幸せになる行動をとることができるのです。

森林浴というスーパー癒し

自然の中で行動すれば人間生物の根本的な欲求を満たしてくれるのはもちろんですが、ただ過ごすだけでも絶大な効果が自然にはあります。

マジで偉大な力があるので、自然に触れてからわずか0.2秒でポジティブになり、ネガティブなことが気にならなくなる力まで秘めているという話もあるくらいです。

瞑想が人間のパフォーマンスを上げるのにとてもいいとブームになったりしますが、その瞑想の2倍の効果が自然の中で過ごすことで得られるのです。

自然の中で過ごすことがどれほどの力があるのかって話ですが、その言葉を表すものが日本にはあります。

森林浴です。

これは日本発祥の文化であり、まさに癒しの代表みたいに祭り上げられますよね。

これマジなんです。スピリチュアルでヤバそうだと敬遠してた方は今すぐ森行ってください。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる――最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方」という著書では、森林浴について調べて書かれています。

これによると、週に1時間森の中にいるだけで、想像力や幸福感が高まり、ストレスに強くなり、さらに血圧が落ちるなどさまざまな効果が確認されています。

森の中には植物がありますよね。植物はテルペン系という化合物を出しているのですが、これがメンタルに対して影響を与え、ストレスを発散することが判明しています。自然の恵み!大地の恵み!!

森に入るだけでこれだけの恩恵を受けることができます。

この本の中では森が少ない環境で過ごせばどれだけ生物として終わるか、害があるか、パフォーマンスが下がっていくかも書かれているので、マジで自然と切り離された環境は生物的に自分で自分の首を絞めているようなもの。

自然に生きるために自然と共に生きる

生き物として自然はなくてはならないものです。なくても生きていけるなんていうのは、ちいとズレた回答になります。

生命活動を維持していることと、生きることは同義ではありません。1人で部屋の中で日の光も浴びずに画面を見続けているのか、仲間と森に入り川辺でバーベキューをするのかどちらかが幸せか楽しいか。

楽しいってのは幸せってのは意外とシンプルなものなんです。身近に感じられないのは自然が身近にないからかもしれません。

まずは1人でも友達とでも、自然に触れるというのを遊びの一環にしてみてはいかがでしょうか。

つうかしましょう!!!!!!!

人間は人間の前に生物ですよー?